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生成AIだけでは「創れない」問題

生成AIだけでは「創れない」問題
  • 生成AIが生み出す大量のコンテンツは、「創作」としての品質を伴わないものも多いです。
  • そのため、まだまだ指示を出す側である人間の経験や能力も重要で、AIを活用するには役割を分担するのがコツ。
  • あるいは、既存の表現形式から脱却した、「AIに最適化された新しい創作表現」に可能性があるのかもしれません。
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1. 生成AIを使った「創作」と「手直し」

現時点では、生成AIを使ってコンテンツを生み出す「創作」には大きな「課題」があります。
高速・大量に作品を生み出せても、品質が低いものが多いことです。

品質を高めさせようと指示するとまどろっこしい問答があり、
「かえって初めから人間が作った方が速かったのでは」、
と感じることも少なくありません。

AIを使って漫画や小説を作ってみると、本当に面白い作品を作るには、実際の人間からの助言による手直しが重要だそうです1

生成AIを使った「創作」と「手直し」

つまり、AIは短時間で平均的な作品を作れますが、それを面白くするには人間による「手直し」が必要みたいです。

2. 従来の創作スタイルに捕らわれているからダメなの?

AIを活用できない原因の1つに「表現形式」があるかもしれません。

現在のAIを使った創作は、漫画や小説など従来のスタイルを踏襲しています。
従来の表現方法や形式にとらわれすぎていることが、AIが本領発揮できないネックになっているのです。

たとえば、

スマートフォン初期のころ、当時のゲームは、大きな画面を活かしたカードゲームや、スワイプ操作を使った簡単なパズルゲームが主流でした。
これらは既存のゲームの延長でした。

スマートフォンゲーム市場が急成長したのは、この「枠」から抜け出したとき。
「パズドラ」など、スマートフォンの性能を十分に引き出すようなゲームが登場したときでした。

2-1. 現代美術としての「AI」・「非AI」

これまでも美術の世界では写真の登場により、芸術家たちは新しい表現方法を模索し、「現代美術」という新しい分野が生まれました。

AIの発展により、創作の世界でもパラダイム・シフトが起こる可能性があります。
「AIでも作れる」ではなく、「AIが作りやすい」表現です。
反対に、人間側も「AIには作れない」表現へと活路を見出すのかもしれません。

現代美術としての「AI」・「非AI」

AIという新しいツールを使って、これまでにない創作のスタイルを生み出すチャンスが訪れています。
各業界がAIの活用を積極的に進めているのは、このような可能性に気づいているからなのでしょう。

3. 操る人よりうまくはならない?

AIは便利なツールですが、期待通りの結果を得るには「正しい使い方」を学ぶ必要があります。

確かに、AIの登場によって、これまでアイデアはあっても表現することが難しかった人々にも、創作の第一歩を踏み出す機会が開かれました(創作の民主化・大衆化)。
しかし、その後の試行錯誤の過程は避けられません。

つまり、AIに適切な指示を出すためにも、依然として創作の経験と能力が重要なんですね。

たとえば、

大学のレポート作成でも似たような状況が見られるそうです。
AIを使って良いレポートを作れるような学生は、そもそも自分でもしっかりしたレポートを書く能力があるようなのです。

3-1. AIは「補助ツール」と割り切る

創作はいくつかの工程に分解できます。
AIにどの工程を担当させるか、役割分担を考えることが重要です。

AIは人間よりも素早くプロトタイプを作成できますが、それを完成させるのは人間の方が優れています。
AIの出力を最終結果にするのではなく、創作過程の中間段階として活用するなら実用的です。

AIは「補助ツール」と割り切る

現時点での結論は、経験のある人間が初期段階の作業を効率化するツールとして活用するのがAI利用の最適解なのかもしれません。

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(補足)

  1. 「自作小説執筆補助AIアプリを使って執筆した小説の第一稿になります。これを複数の友人に読んでもらい、忌憚なく意見を募ったところ主人公の内面の変化が見られない(肉体的に強化しただけ)という至極もっともな指摘を受けた」 – 小説執筆にLLM活用|とりにく
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