対話型AI がプログラムを生成できるようになった現在、「プログラミング教育」をどう考えたらいいのでしょう?
1つは、プログラミング知識自体は、自分の思い通りのプログラムを作るためには必要ということです。ただし、「読み書き計算」のような誰でも必要な「基礎的なスキル」にはならず、これまで通り「専門的なスキル」のままになるかもしれません(大工職人のような)。
もう1つは、プログラミングの技術よりも、「問いを立てる力」の方が重視されていくように思います。
そもそも「問い」に気づかなければ、答えは得られないからです。
結局のところ、AIにないのは「実体験」です。
子どもたちには、たくましく多様な「体験」をして、いろんな疑問を持ってもらいたいですね。
確かに、現実に(自分自身も含めて)いろんな人の困りごとを知らなければ、それへの解決策も考えられないよね。
1. プログラミング教育が必修化された3年後にChatGPTが登場した
近年、「プログラミング教育」が学校教育でも重視され、2020年から小学校で必修化されました。
当初から、「すぐに変化するプログラミング言語を必修で学ぶ意味があるのか?」や「プログラミング的思考、つまり 目的にたどり着くための順序だった考え方を学ぶからこそ意味がある」など、その意義については議論がありました。
その上で、「新しい教科を増やすより、基礎的な国語力を養うことの方が先決ではないか?」という慎重な意見も少なくありませんでした。
ちなみに、学校教育でのプログラミング教育のねらいは「子どもたちが自分で考えて、コンピューターに命令を出すことができるようにすること」とされています。
「国語力が大事」という意見はもっともではあるものの、「じゃあ、このままでよいの?」という問題には答えていないものでした。
しかし、そうこうしているうちに、対話型AI(ChatGPT)の登場した2023年(わずか 3年後)、もう 半ば「プログラミング不要」の時代が到来してしまいました。
2. AIと一緒なら誰でも「プログラムが作れる」
私も WordPressプラグインを作成するときに、AIプログラミングのスピード感にびっくりしました。
これまでも、「テンプレート」を元にプログラムを作成することはありました。それ以前だって、すべてを1からというわけでもなく、「ライブラリ」という部品を組み合わせていました。
しかし、ざっくりとした要望だけで自分の求める(のに近い)プログラムを用意してくれるのは驚異的なことです。
これは小学生でも 同じことができます。
ChatGPTに指示を出すことで、誰でも対話しながらプログラムを完成させられるようになったのです。
元々は息子にPythonプログラミングを教えるつもりで始めたことが、ChatGPT使ったAIプログラミングを体験させることになってしまいました。息子はこのプログラムの実行結果には大満足ですが、「次はChatGPTに何をお願いしようかな」という方に完全に頭が切り替わってしまったことで、今後Pythonを一から学ぶモチベーションはダダ下がりしてしまいました。
子供にマインクラフト使ったPythonプログラミングを教えようとしたらChatGPT使ったプログラミング不要な世界を体験させちゃった | DevelopersIO
具体的なプログラミング言語の知識なしでも、とりあえずのプログラムはできてしまうのです。
もちろん、エラーの修正や細かく自分なりに「カスタマイズ」しようと思えば、プログラミング言語の知識は必要になります。
しかし、それだって AIに聞いていくことで、要領よく習得していくことができます。
カスタマイズしようとすると知識が必要になるのは、Excel VBA の「マクロの記録」みたいなものですね。
それでも、日曜大工がなくならないように、プログラミングが全くなくなるわけではないよね。
コードを書いてプログラムが動作すること自体にも「魔法」のような魅力・楽しさがあるもん。
3. 「プロンプト・エンジニアリング」と哲学(問う力)
ただし、ChatGPTにもコツがあります。
対話型AI(あるいは「言語モデル」)を使っていると、質問の仕方で答えの精度が大きく変わってくることに気付くからです。
つまり、「よりよい答え」を得るためには、質問の仕方の工夫が必要です。
それが、「プロンプト・エンジニアリング」です。
対話型AIは、与えた質問の詳しさによって、答えの精度が上がります。
例えば、以下の例は「短い答え」を求める場合です。
単にそのまま質問すると長い答えを返します。
しかし、他の回答例をプロンプトに含めることで 適切な分量で答えさせることができています。
このような、質問方法のコツはいくつも考えられ、パターン化されつつあります。
とはいえ、AIの学習スピードは驚異的です。
すぐ近い将来には このようなコツを意識しないでも、自然なやり取りで答えを得られるようになっていくのかもしれません。
そうなると、もう「質問」を思いつく行為自体に価値が出てくるのかもしれませんね。
そりゃ哲学だね。
ソクラテスの「問答法」みたいだ。
「自分や他人に対してさまざまな質問を投げかけ、答えや理由を尋ねることで、思考や行動の根拠や正しさを検証しようこと」を「問答法」といいます。
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